Tikkun Doctrine, Critical Survey

ティックーン(Tikkun)の教理は何を教えているか

シモン・アミット(Shimon Amit)著

1. はじめに

近年、イスラエルのメシアニックジュー諸団体の間で、「ティックーン(Tikkun)」と「リバイブイスラエル(Revive Israel)」の人々の言動はイスラエルのメシアのからだに分裂を引き起こすという認識が広がっています。この両団体の指導者たちが自分のことを「使徒」や「上級使徒」と呼ぶのはなぜでしょうか。ティックーンは、なぜバチカン(ローマ教皇庁)と関係を持っているのでしょうか。ティックーンの指導者、ダン・ジャスター(Dan Juster)は、なぜカトリック教徒、正教会、メシアニックジューと協力してTJCII(Toward Jerusalem Council II:第二エルサレム会議に向けて)運動を立ち上げたのでしょうか。リバイブイスラエルとティックーンは、なぜ使徒の働き15章に見られるような「上級使徒会議(Senior Apostolic Council)」を再び設立しようとしているのでしょうか。

こうした行動の意味は、ティックーンとリバイブイスラエルの使徒たちがつくり上げた神学の中ですべて説明されています。また、ティックーンとリバイブイスラエルの最終目標と、その教えを広めるために設けられたマイルストーン(段階的な目標)についても説明されています。この神学が広まることになれば、イスラエルのメシアのからだに影響があることは必至です。というのは、この教えがメシアニック会衆の独立性を放棄し、使徒の権威に服従することを提唱しているためです。こうした使徒たちは力を合わせ、イスラエルのメシアのからだと全世界の教会に対して霊的権威を持つ「使徒会議」の設立を目指しています。このように言うと「まさか」と思われるかもしれませんが、この小冊子を読んでいただければ、ここで書いたことは現実のことであるということがおわかりになると思います。

ユダヤ教の神秘主義で「ティックーン(tikkun)」とは、人や人類本来の生き方を回復する必要性を教えている言葉で、個人レベルの回復は「ティックーン・ミドット(Tikkun Midot)」、世界レベルの回復は「ティックーン・オラム(Tikkun Olam)」と呼ばれます。「この世界は『壊れて』いて、悪に染まっている。世界を完全な状態にするには、世界を修復する必要がある。世界の不正を正す責任は人間にある。このような世界の修復は、内面の価値観の変化、法律の改正、詩篇を読むこと、そして祈りを通して実現する。人間が世界の修復に成功するにつれて、待望している贖いの日が近づく。そのような人間の行動によって、贖いが実現する前に完全な世界が到来し、さらには贖いの日を早めることができるのである」。以上が、ティックーンという組織の原動力となっている考え方です。

ティックーンが掲げるビジョンの背景にあるのが、「ティックーンの回復の教理」です。この教理は、主イェシュア(イエス)が地上に戻ってこられる前に、イェシュアの再臨を待ち望むしもべたちによって地上に神の国が回復され、しもべたちはメシアの再臨を待ち望みつつ神の国を支えると教えます。さらに、この神の国が出現することが、メシアが再臨する条件であるとも教えています。ティックーンの創設者であるダン・ジャスターとリバイブイスラエルの創設者であるアシェル・イントレーター(Asher Intrater)は、神の霊的王国の回復、メシアのからだの回復、メシアのからだの中で霊的権威を回復することが再臨の必須条件であり、それなくして主の再臨はないと教えます。人間の行動によって全世界のメシアのからだを回復し、エルサレムの使徒たちの権威を回復することが、主の再臨を早めるために必要不可欠なステップだというのです。贖いと主の再臨が実現するかどうかは人間の行動にかかっているというこの考え方は、ティックーンの使徒たちの教えと切っても切り離せない関係にあります。

ティックーンの使徒たちの神学は、秘伝的なものではありません。それどころか、自分たちの教理を公に広めており、資料も公開しています。難しいのは、そうした資料を集め、全体像を明確に示すことです。さらに、ティックーンの使徒たちは曖昧な言葉(運動、アライメント、流れ、ネットワーク、関係、領域など)を使うことが多く、そのために教理を明確に理解しづらくなっています。

ジャスターは、インターネットから入手できる資料「Tikkun International Story」 (P. 2、最初の段落)で、改革派教会で育った自身の生い立ちや、ディスペンセーション主義に立つニューヨーク州の宣教団体「Word of Life」のサマーキャンプや聖書学校にも参加したことを振り返っています。この2つの組織(改革派教会とWord of Life)は、終末論に関して異なる見解を持ち、神の計画の中でイスラエルが占める役割について正反対の立場を取っており、対極的な教団教派といえます。そのような述懐を記した後、ジャスターはこのように語ります。「当時はまだ気付いていませんでしたが、この問題にいち早く取り組み、最終的にこのような解釈の枠組みを超越したメシアニックジュー神学を構築するという計画を神は私に用意しておられたのです」。ジャスターは、福音派の中に神学的な断絶があることを知り、そのような一般的解釈を超越した、メシアニックジューによる新しい神学を構築するように神は自分を召しておられると確信したのです。この神学が、後にティックーンおよびティックーンを母体とする諸団体の精神、ビジョンとなっていきます。

2. 背景

この文書の目的は、読者のみなさんにティックーンの使徒たちの教えを提示し、 その教えと行動からティックーンという組織を吟味していただくことです。ただ、そうする前に、ティックーンの教理がどのような影響を受けて形成されたのか、その背景を知っておくことが大切です。

2.1 「ティックーン」という名前の由来

「ティックーン」という組織名は、使徒3:21からインスピレーションを受けて名付けられています。

「このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません」(新改訳第3版)

この「天にとどまっていなければなりません」とは、時が来てメシアが再臨し、すべて(被造世界、権威、神の国など)を立て直すまで、天がメシアの居場所となるという意味です(一般的な英語訳[NIV、ASVなど]では、この箇所は「whom (the) heaven must receive」と訳されています)。しかし、現代のレストレーション運動の注釈者は、この「天にとどまっていなければなりません」を、なんらかの回復が起こるまで、イエスは天国にとどまらなくてはならない、それまでは地上に戻ってくることができない(再臨できない)という意味だと教えます。メシアの再臨の前に、その前提条件として、なんらかの回復が起こらなければならないと言うのです。一般には、主の再臨の時に回復が起こると教えられますが、現代のレストレーション運動では、再臨の前に回復が起こると教えます。これから見ていくとわかるように、ティックーンの使徒たちは、再臨前と再臨時の回復、そのどちらも信じています。

現代のレストレーション運動の多くは、この節で言われている回復とは、教会がしみも傷もない純潔の花嫁として完全な一致を回復することであり、それが主の再臨の条件であると教えます。たとえば、国際使徒連盟(ICA)の創始者の一人であるビル・ハモンは、著書『The Day of the Saints(聖徒の日)』の中で、この聖句を次のように説明しています(P. 125)。「教会のもとで万物が回復し、教会が神の要求する基準に達した後に、キリストが花嫁のために戻ってくる。それまで、このレストレーション運動は続きます」(ちなみに、モルモン教会もまたレストレーション主義運動です。モルモン教会は、自分たちの教会は使徒の働きの時代にあった共同体の回復であると主張しており、上記の聖句を現代のレストレーション主義者と同じように解釈します)。

ティックーンの「12の柱(12 Pillars)」という文書には、ティックーンの霊的な奉仕の原則が定義されています。この中の第10の柱は「御国はやがて来る完成の中で表現される」と定義され、その説明の中でジャスターは「…天にとどまっていなければなりません 」という使徒3:21の聖句を引用しています。ジャスターは、一般的な解釈に従って「これは世界がパラダイスの状態に回復することを指す」(P.23、4段落目)としますが、さらに続けて「実際には、聖書を読むと、使徒3:21などの聖句で言われているように、私たちは世界の回復という意味合い以上の何かもっとすばらしいものに向かって進んでいることがわかる」と力説します。ジャスターはその後でこのように書いています。「こうしたすべてのことは、リバイバルと弟子訓練によって、信者のからだが完成するというすばらしい希望を与えてくれます。そのようなキリストの花嫁だけが、イスラエル、そして諸国民の救いを実現することができるのです

ジャスターが「完成」と言うとき、何を意味しているのでしょうか。その答えは第10の柱の説明の中にあります。「私たちは、すべての真理の回復のために全力を尽くします。やがて来る完成に備え、メシアのからだを一致と力と純潔のうちに保つために全力を尽くします」。ジャスターは、使徒3:21が語っているのはキリストの再臨時に万物が回復することだとする一般的な解釈も採用していますが、同時に、この節はキリストの再臨前にキリストのからだの一致が回復することも教えているという解釈に立っています(別の箇所では、ジャスターはそれを「万物の回復につながる回復」と呼んでいます)。言い換えれば、ジャスターの解釈によると、回復は2度あることになります。1度目は主の再臨の前に成就する教会の回復、2度目は主が再臨した時に成就する万物の回復です。次の章では、ジャスターが、使徒の働きの教会は非常に高い水準に達したが、回復した教会が終わりの時代に到達する「完成」には至っていなかったと教えていることを学びます。

2.2 現代のレストレーション(回復)主義

現代のレストレーション運動は、カトリック教会の暗黒時代に失われた使徒時代の真理を回復しなければならないと言います。その主張によると次のようになります。「カトリックが支配した中世の時代に、教会は千年間の霊的な昏睡状態に入った。使徒の時代に生まれた理想的な教会は次第に堕落し、ついにはカトリック教会の暗黒時代に霊的な活力を失うまでに至った。しるしや不思議、預言者と使徒の職、按手、聖霊のバプテスマ、異言、新生、浸礼といった初代教会に見られた霊的な働きは、カトリック教会が確立するにつれて失われていった」(この説明はかなり単純化していますが、レストレーションという概念を理解できるように書いています)

現代のレストレーション運動によると、暗黒時代の教会の回復は16世紀の宗教改革に端を発します。宗教改革によって、カトリック教会の教義に対する信仰の宣言に代わり、霊的な新生という教えが教会に戻ってきました。アナバプテストは、滴礼と幼児洗礼に代わって、自分の意思で受ける浸礼によるバプテスマを回復しました。20世紀初頭のアズサストリートリバイバルでは、聖霊のバプテスマが回復しました。これについては後ほど詳しく取り上げますが、後の雨運動によるリバイバルでは、使徒と預言者の職の回復、また主の再臨の前に起こる世界的な教会一致が強調されました。そして最後に、新使徒的宗教改革(NAR:New Apostolic Reformation)がメシアのからだを統治する機関として使徒職を回復したという主張につながります。先述の通り、使徒職の目的は終わりの時代に全世界の教会の一致を回復することで、それが実現する最後の世代に主の再臨が起こるというのです。

また、現代のレストレーション運動によると、歴史上の諸運動は失われていた真理を回復し、教会に真理を取り戻したが、新しい教派という形で分裂をもたらしたと言います。最初の宗教改革者であるマルチン・ルターの働きにより、ルター派が生まれました。アナバプテストの運動はアーミッシュとメノナイト運動の形成につながり、アズサリバイバルはペンテコステ運動を生み出しました。こうした諸運動によって、失われていた働きと真理が教会に回復しましたが、教団教派という形で教会に永続的な分裂を生み出したとします。この現実は、教会が1つしかなく、使徒の権威と教えの下で一致していた使徒時代の教会とは対極的である、というのが彼らの主張です。つまり、現代のレストレーション運動の最終的な目標は、全世界の教会で、使徒の初代教会の頃のような完全な一致を回復することです。一致が回復し、分派がなくなれば、教会は傷もしみもない純潔の花嫁となり、そうなって初めてキリストがご自分の教会のもとに戻ってくることができるというのです。

前の章で言及したビル・ハモンによると、回復のペースは時間と共に加速しています。「過去には、回復と次の回復までに何世紀もの期間が経過していたのに対して、今日の回復のペースは早く、数十年という単位で回復が起こっています。近代では、特に20世紀に入ってから、聖霊のバプテスマ、異言、預言者と使徒職の回復と、加速度的なペースで次々に回復が起きています」と語ります。ビル・ハモンは、預言者の職は1980年代に回復し、使徒職は1990年代に回復したと記しています(この2つは同時に回復したと言う人々もいます)。さらに、現代のレストレーション運動の中では、回復のペースが加速している今、回復の最終目標である教会の一致が実現する最後の一世代がすでに始まっているか、始まろうとしているという期待感が高まっています。この最後の世代の名称は各グループで違い、ヨシュア世代(Joshua Generation)、顕現した神の子どもたち(Manifest Sons of God)、新人類(New Breed)、ヨエルの軍隊(Joel's Army)などと呼ばれています。

ティックーンは、以上のようなレストレーションの原則を固く保持しています。「私たちは、神は信者のからだの中で失われてきた真理と正しい慣習をすべて回復してくださると信じています。教会は、時代によって前進と後退を繰り返してきました。いくつかの真理は、ある時代に強調され、次の時代になると失われ、後の時代になるとまた注目されるということがありました」。この発言の意味するところは、すべての真理が回復すれば、終わりの時代の教会は使徒の働きのような、真理と霊的な力に満ちた教会になるということです。また、ダン・ジャスターとアシェル・イントレーターが、回復する必要のある働きのリストに新しい要素を付け加えていることについてもこれから見ていきます。その中で最も重要なのが、使徒15章に登場するようなユダヤ人使徒の最高会議という形で、世界中の教会に対する霊的権威を回復することの必要性です。ティックーンによると、使徒会議も、メシアニックジューと全世界のキリストのからだに対する霊的権威も、教会が初期の頃のような働きをするためには回復する必要があるものだとします。以上のようなことを見ていくと、事実上、ティックーンの教理は従来からあるレストレーションの原則の延長線上にあるもので、イスラエルの使徒たちによる拡大版と言うことができます。

ただ、ジャスターは、最終的な目標は単に使徒時代の教会の水準に回復することではなく、世界規模で、初代教会を超える水準にまで回復することだと語ります。また、使徒3:21の「万物の改まる」という言葉には「回復」よりもはるかに強い意味があると主張します。使徒の働きの時代にあったものよりもはるかにスケールが大きく、その時代にはなかったものが来ることをほのめかす「完成」という意味があるとします。「エペソ4:11~16を見てください。私たちは、1世紀のキリストのからだが完璧な教会という目標を達成したが、それ以降は堕落してしまったかのように、ただ回復を求めているだけではありません(ただ、新約聖書の教会は非常に高い水準に達していました)。実際に私たちが求めているのは、世界的規模で、もっと優れたもので、使徒2~4章に記されている教会のようでいて、しかも全体がもっと完成されたものです。私たちは、まだ地上に現れたことがない完全なものを求めているのです」(ジャスター『Apostolic Ministry and Authority(使徒の宣教と権威)』P. 23)。このような、終わりの時代に回復した教会は、使徒の時代の初代教会を質的にしのぐものになるという教えが、現代のレストレーション運動の中心的な教えです。

イントレーターは、最後の世代は使徒の働きが回復した時代になるとし、その世代はすでに始まっているか、今にも始まろうとしているという期待感を持っています。また、この時代に戻るように主は自分を召してくださったと語り、この世代は約40年(一世代)続くと言います。イントレーターは、インターネットから入手できる「New Age of Acts of the Apostles(新しい使徒の働きの時代)」という記事で、次のように書いています。

「2017年の変わり目に、ブラジルのカンファレンスで祈っていた時のことです。その時私は、『新しい使徒の働きの時代に戻りなさい』と主の御霊が語りかけてくださっていると感じました。(中略)私たちは、何十年もの間、宣教の「型」を求めて「使徒の働き」を読んできました。(中略)ほとんどのレストレーション主義の宣教団体は、使徒の働きを宣教活動のモデルとして見ています。しかし、私は「新しい使徒の働きの時代に戻る」という言葉をまったく違った意味にとらえました。1コリント10:11に「世の終わり(end of ages)に臨んでいる私たち」と記されているように、これは単なる「型(pattern)」ではなく「時代(age)」 なのです。

最初の使徒の時代は、イェシュアが地上から天に上った直後に来ました。私たちは、イェシュアが天から地上に下ってくる直前の時代に生きています。この2つの時代に共通する特徴は、国際的なエクレシア(教会)とイスラエルのメシアニックジューの共同体が共存していることです。西暦33年以前にエクレシアはありませんでした。紀元70年以降は、イスラエルがありませんでした(その間約40年)。この一世代の間、エクレシアとレムナント(ユダヤ人信者)は共存していました。そして2千年ぶりに、両者の共存が再び実現したのです(中略)

現在私たちに与えられている期間を正確に数える方法はわかりません。西暦2000年に始まり、2040年に終わるのでしょうか(40年間)。それとも、2017年に始まって、この世代のいつの時点かに終わるのでしょうか。私にはわかりません。

しかし、使徒の働きのような状況が出現する条件は、歴史上かつてないほどにそろってきています。

2017年は、使徒の働きと黙示録の預言の成就にとって、『再出発』を切る画期的な年になります」

結論として、ティックーンの使徒たちは、レストレーションの原則を支持しつつ、それに加えて回復しなければならない真理と働きを追加していると言うことができます。また、最後の世代は、最初の使徒の世代には到達することができなかった「完成」をもたらすとも主張します。ティックーンは、メシア的回復を聖書的、歴史的なスケールで定義し、回復した使徒の時代はすぐそこに来ている、あるいはすでに始まっていると信じています。それに劣らず重要な点は、ティックーンの使徒が、自分たちは最後の世代に神の使徒として奉仕するように神から召されていると考えていることです。

2.3 後の雨運動

ジャスターは、後の雨運動のリバイバルがイスラエル国家の樹立と並行して起こったと記し、教会とイスラエル国家の回復が同時進行することを教える預言的なマイルストーン(節目)になったとしています。ジャスターは著書でこのように記しています。「1940年代に後の雨運動が起こるまで、使徒と預言者の回復がメシアの再臨前にメシアのからだが回復し、完成するための鍵だと強調されたことはありませんでした。その主な根拠になった聖句が、エペソ4:11です」(ジャスター『Apostolic Ministry and Authority』P. 48)。

後の雨のリバイバルは、1948年にカナダのサスカチュワン州で始まり、1952年まで続きました。多くの指導者や学生がウィリアム・ブランハムの教えに影響され、霊的刷新に自分自身を捧げる必要があると奮い立ちました。このリバイバルの中心聖句は、ヨエル2:23です。「シオンの子らよ。あなたがたの神、【主】にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ」。この人々は、初めの雨は使徒の働きに記されている聖霊の傾注(注ぎ)の型であり、後の雨は神が終わりの時代にもたらしてくださる聖霊の傾注の型であると主張しました。また、初めの雨で使徒の宣教が行われ、聖霊が注がれ、その結果人々が悔い改めたのであれば、後の雨でも同じことが、さらに大きなスケールで実現すると語りました。イントレーターも、この点で後の雨と同じ解釈に立っています。

後の雨運動は多くの教理を生み出し、その影響は今日まで続いています。顕現した神の子どもたち、ヨエルの軍隊、五役者の働き(Five-Fold Ministry)、終わりの時代に教会が回復することがメシア再臨の条件であるとする教えは、後の雨運動から出たものです。後の雨のリバイバルと運動は衰退しましたが、教理は生きながらえ、現在もキリスト教の一部グループ、特に現代のレストレーション運動の中で影響を与え続けています。ティックーンは後の雨の教理をすべて受け入れているわけではありませんが、先ほど引用したジャスターの発言からわかるように、その他の現代のレストレーション運動と同様に、直接的な影響を受けています。

1949年に、アメリカのペンテコステ派最大のネットワークであるアッセンブリー教団(Assemblies of God)は、後の雨運動の教理を全面的に批判し、「同じ尊い信仰を持つ人々の交わりを断ち切る結果にしかならず、キリストのからだの中で混乱や分裂を起こす傾向がある」と宣言しました(「Minutes and Constitution, Assemblies of God(議事録と規約、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団)」1949年、26ページ)。特にアッセンブリー教団は、「教会は現代の使徒と預言者の土台の上に立っていると主張する誤った教え」を非難しました。

聖書は、神の子どもたちの栄光は主の来臨と共に現れると教えています(ローマ8:19、ユダ14、ゼカリヤ14:5、1テサロニケ4:14など)。神の子どもたちが栄光のうちに現れると言われているのは、死からよみがえり、栄光の体を受け、メシアとつながるからです。ところが、後の雨の運動から生まれた「顕現した神の子どもたち」という教理では、神の子どもたちの栄光は、教会の最後の世代に、メシアが来られる前に現れると教えられています。この運動では、イェシュアが戻ってこられる前に、教会の最後の世代は超自然的な栄光の体で地上を歩くことになると教えられているのです。

ジャスターは、栄光の現れは2度あると考えています。1度目は主の再臨の前、2度目は再臨の時です。一方は教会の一致という栄光の現れであり、もう一方は復活という栄光の現れです。まず、教会の一致が最後の世代に完成する時に栄光が現れます。次に、メシアが再臨し、信者が新しい栄光の体を受ける時に栄光が現れます。ジャスターは、主の再臨前に現れる栄光は復活の体のことであるという後の雨の立場を否定しますが、主の再臨の前に現れる栄光を待ち望みながら生きる必要があると言います。「復活が起こる前に、私たちが顕現した神の子どもにならないとしたら、復活の体で地上を歩き回らないとしたら、あとはイェシュアが来られてすべてを成就するのを待つだけになるのでしょうか。いいえ、それも間違いです。イェシュアが祈られたような一致と現れが、復活の手前で実現するという次元があるのです。それが、携挙と栄光の体に至るために必要なステップなのです。『彼らがみな一つとなるためです…わたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください』。これが、神の子どもたちの顕現なのです。『またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです』(ヨハネ17:22)」(『Israel, the Church and The Last Days』P. 77-78)

2.4 新使徒的宗教改革(NAR)

1990年代の初め、当時米国のフラー神学校の教授であったピーター・ワーグナーは「教会成長」をテーマとして研究し、使徒的運動に参加している教会はほかのどのような運動に参加している教会よりも急速に成長していることに気付きました。その時代に、使徒的運動は特にアフリカ、南アメリカ、そしてアジアの広範な地域で成長していました。ワーグナーは、研究していた使徒的刷新の時代に新しい名前を付けます。それが「新使徒的宗教改革」(NAR:New Apostolic Reformation)です。「教会の一部では、過去2千年間を通して使徒職が認められてきました。ローマカトリック教会、英国国教会(聖公会)、また「使徒」という名前を肩書きに取り入れているその他の多くの教団教派が例として思い浮かびます。しかし、預言運動と同じく、こうした使徒的運動を強調する動きは、キリスト教宣教の最前線でいのちを与えている福音派教会の主流派にまでは浸透していませんでした。これが現実に起こり始めたのが1990年代になってからです」 (ピーター・ワーグナー『Apostles and Prophets – The Foundation of the Church(使徒と預言者 ― 教会の土台)』P.19-20)。現在キリスト教福音派が直面している変化は、使徒と預言者が認められてこなかった2千年間の後に起きている、終わりの時代の新使徒的宗教改革にほかならないとワーグナーは言います。「NARは、プロテスタントの宗教改革以降で最も根本的な変化を教会にもたらすものです」。

ピーター・ワーグナーは、自分がしたことは、さまざまな流れのキリスト教会にすでに存在していた現象を見つけ出し、定義しただけだと主張し、NARの父と呼ばれることを拒みました。ワーグナーは、自分はただこの改革を「知的に見い出した父」というだけだと主張したのです。しかし実際には、ワーグナーは新使徒的宗教改革の中心的な思想家、神学者、霊的指導者でした。多くの書籍と記事を出版し、使徒的運動の主要な組織である国際使徒連合(ICA:International Coalition of Apostles。後に「使徒的指導者の国際同盟」(ICAL:International Coalition of Apostolic Leaders)に改称)のトップを長年務めました。ワーグナーの出版物は、使徒的運動の権威の源泉にもなりました。ピーター・ワーグナーは、使徒のことを「神の訓練と教育を受け、神に立てられた信仰ある指導者で、神の国を推進する目的のために、宣教の特定領域に教会の土台となる統治組織を据える権威を持っており、その働きを、聖霊が諸教会に語りかけることばに耳を傾け、そのことばに沿った秩序をもたらすことによって実現する者」(ICALのウェブサイトより)と定義しています。つまり、ワーグナーの定義によると、使徒職とは権威と統治(ガバナンス)に関わる職だということになります。ここが重要なポイントです。この教えが、ワーグナーの使徒に関する教理の土台となっており、イスラエルのティックーンの使徒が教える教理の根本原則となっているためです。

2001年には、全世界の使徒たちの活動を調整し、より効果的に神の国を推進することを目的として、使徒組織ICAが設立されました。ICAは、NARに関連する使徒運動の統括団体となっています。また、国ごとに認定された使徒のリストを管理しています。ダン・ジャスターは、この組織に登録されている使徒で、ICAの設立メンバーでもあります。この組織のウェブサイトでは、次のように主張されています。「ネヘミヤ2:5で、ネヘミヤは王に、自分を王の権威を帯びた使者(シャリアハ)として、エルサレム再建の責任者として遣わしてほしいと願い出ています。ネヘミヤは、使命を帯びた使徒(シャリアハ)となることを願ったのです。ネヘミヤ2:6のみことばは『王は快く私を送り出してくれた』と語っています。また、王から現地で任務に就いている人々に対し、ネヘミヤが使命を帯びていることを認め、支援するように要請する手紙が書かれました。ネヘミヤは到着すると、エルサレムとユダヤでアルタクセルクセス王の働きを司る総督(ペハド - 監督、司教の意)に任じられました。その地域の支配者たちは、ネヘミヤを国家元首のように扱いました。ここに、使徒が本当はどのような存在であるかを示す例があります。ネヘミヤは、統治を打ち立て、秩序を保つアルタクセルクセス王の将軍、使徒(シャリアハ)でした。今日の使徒は、任命された領域で神の統治を打ち立て、秩序を保つ神の代表なのです」。

2011年に、ワーグナーは「The New Apostolic Reformation is Not a Cult(新使徒的宗教改革はカルトではない)」という記事を『Charisma(カリスマ)』誌に発表しました。ワーグナーが記事を書いた理由は想像に難くありません。メディアの取材や、世界中のキリストのからだからの批判で、NARは「カルト」であるという汚名を負っていました。この記事でワーグナーは、NARはカルトでも、階層やメンバーシップのある組織でもなく、世界中の会衆、教会で起こっている現象の総称であると説明しています。また、ムーブメントに反対する主張を一掃し、NARをもっと正確に定義しようとしました。ワーグナーは、多くの人はNARを同質的な使徒運動と思っているが、実際には「終わりの時代に使徒と預言者の職を回復する」という共通の目標を持った、異質な諸運動の集まりを指す総称にすぎないとしています。そのため、ある人がNARに公式に属しているとは言えない、そのような組織は存在しないからだ、というような主張になります。このような精神で、NARの関連組織は、自分たちがNARに属していることを何が何でも否定しようとすることが習慣となっています。

2012年に、ワーグナーは『Apostles Today(現在の使徒たち)』という書籍を執筆しました。その中でワーグナーは、神がジャスターに「ユダヤ人の使徒」として授けた権威を認めています。「地域を担当する使徒の下位概念に、特定の民族への使徒的リーダーシップを授けられた使徒があります。聖書の例でいうと、ペテロとパウロでしょう。当時の主要な民族的区分は、ユダヤ人と異邦人でした。神は、ペテロを『割礼を受けた者』、つまりユダヤ人の使徒に任命し、パウロを『割礼を受けない者』、つまり異邦人の使徒に任命しました(ガラ2:7参照)。どちらもガラテヤやアジアといった地理的に同じ領域で宣教しましたが、一方は主にユダヤ人に、もう一方は主に異邦人に仕えました。今日の例でいうと、ダン・ジャスターと私の違いのようなものでしょう。どちらもICAの使徒会議のメンバーで、どちらも米国にミニストリーがあります。しかし、ダンは主にユダヤ人に仕え、私は主に異邦人に仕えているのです」(『Apostles Today』第7章「Territorial Apostles(地域を担当する使徒)」)。

ジャスターの側も、2017年に出版された新刊で次のように書いています。「この聖書と注釈のセレクションで目的としていることは、ピーター・ワーグナーが新しい使徒的教会と呼んだこの運動の根拠となる証拠を新しい視点から眺めることです(Bakerから1998年に出版されたワーグナー著『The New Apostolic Churches』を参照のこと)。この運動が重要な聖書的真理の発見であるなら(私はそう信じますが)、メシアニックジューには使徒と統治組織という問題をよく調べてみる義務があります。実際に、メシアのからだの統治組織はイスラエルから生まれたのですから」(『Apostolic Ministry and Authority』P. 5)。

3. 釈義の土台

この章では、ティックーンの使徒たちが、ティックーンの教理の土台を築いた方法をいくつか見ていきます。

3.1 超自然的な啓示

[0:16] 私たちが行っていることは、すべて36年前(1981年)に私たち(ジャスターとイントレーター)が受けた啓示と関係しています。…

[0:37] それはイスラエルで教会が回復することに関する啓示です。この啓示は、主とのデボーションの時に超自然的に受け取ったものです。

[1:33] 私たちが行っていることは、すべて次に紹介する2つの聖書箇所に関係しています。イェシュアはヨハネ17章の20節以降で次のように語っています。「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです」(ヨハネ17:20~23)。主がこの聖書箇所を私に示してくださった時、主が再臨する前に、「信者のからだの一致」と呼ばれる現象が全世界レベルで起こることがはっきりとわかりました。 それまで、私たちのほとんどはそのようなことを考えてもいませんでした。かつてある教団にいた時、私はエキュメニカル(教会一致)推進委員会の委員を務めていました。この委員会では、さまざまな教団教派から代表者が集まって、シカゴの町で宣教協力をしようとしていました。それは1970年代のことで、随分昔のことです。とは言え、それは深い絆で結ばれた一致ではなく、イェシュアがここ(ヨハネ17章)で祈っておられるようなものではありませんでした。そのようにして、私はさまざまな教派が存在する町々や地域でそのような深い絆で結ばれた一致が見られるようになる必要があること、また各教派のアイデンティティは次第になくなっていき、共通のアイデンティティで結ばれる必要があることを理解しました。そのことに気付いた時は、ちょっとした衝撃を受けました。おかしな話です。私は1960年から信者のからだの一員でしたが、1981年の当時まで、21年間も、このことについて教えられたことも、考えたこともなく、私にとってまったく新しい考え方だったのです。 しかし主は、このことをエペソ4章とも結びつけて教えてくださいました。(ヨハネ17章の)この気高く高尚な一致の理解が、エペソ書の4章で具体的な形で示されているのです。私の中で、ヨハネ17章とエペソ4章が結び付きました。主が、この啓示体験を通して、2つの聖書箇所を結び付けて考えるように導いてくださったのです」(ジャスターの動画「Restoring the Church and Israel(教会とイスラエルの回復)」11秒~8分11秒)。

ジャスターは、ヨハネ17章とエペソ4章の理解は神から受けた超自然的な啓示によると主張しています(「主がこの聖書箇所を私に示してくださった」)。自分に啓示されたこの2つの聖書箇所に関する新しい理解は、啓示の前にはなかったものとし(「私はこのことについて…考えたこともなく」)、これまで誰も自分に教えてくれなかった(「教えられたことも…なく」)、「まったく新しい考え方だった」としています。ジャスターは、自分とイントレーターが行っていることは、主から直接受けた超自然的な啓示という土台に立っていると語っていることになります。ここで注目すべきポイントは、ジャスターが受けたと主張しているのは個人的なレベルの啓示ではなく、歴史的なレベルの啓示だということです。啓示されたのは、終わりの時代に、五役者(使徒、預言者、伝道者、牧師、教師)の働きによって世界中の信者が一致するという内容です。これは個人的な啓示ではなく、終わりの時代のキリストのからだに関する預言的、終末論的な啓示です。

3.2 2つの神学の融合

ティックーンの教えは、2つのよく知られた神学を組み合わせたものです。その2つの神学とは、「旧約聖書の預言者が告げていたとおりにメシアの再臨時にイスラエルの王国が回復する」という一般的なメシアニックジューの教えと、「メシア再臨の前提条件として、再臨の前の終末時代に教会が回復する」という現代のレストレーションの教理です。ジャスターは、ティックーンの使徒は「今ここにある御国」と「将来に実現する御国」の両方を信じていると宣言しています。彼らは、主の再臨の前に世界大の霊的リバイバルが起こると信じていますが、それと同時に主の再臨時に被造世界が贖われることも信じているのです。

3.3 預言の私的解釈

ティックーンの使徒は、終末時代に使徒の権威の下で教会が回復するという主張を裏付けるため、千年王国に関する旧約預言を用います。さらに、そうした預言には二重の意味があるとし、実際に神の国の預言は部分的にせよ全部にせよ、2度成就すると教えます。1度目は使徒によって教会が回復した最後の時代に、2度目は千年王国の時代に成就するという主張です。

ティックーンの使徒の「終わりの時代に異邦人がエルサレムに巡礼し、エルサレムに富をもたらす」という預言の使い方に、それがよく表れています(イザヤ60:5、9、11、ゼカリヤ14;14、黙示録21:6)。イントレーターはこう問いかけます。「こうした箇所が、私たちが生きている時代に、たとえ一部であっても成就するのでしょうか。富は教会に、またイスラエルに流れ込んできているでしょうか。どちらも、ある程度は実現していると言えるでしょう。もしそうであれば、おそらくメシアを待ち望むレムナント(残りの者)のために、二重の成就があるのです」。言い換えると、千年王国でエルサレムに富がもたらされるという預言は、二重預言だということになります。つまり、キリストが再臨する前の回復した教会の時代、そしてキリストが統治する千年王国の時代の両方で成就するというのです。

イントレーターはこう続けます。「最近、エルサレムのアハバット・イェシュア(イントレーターが牧する会衆)で、『異邦人の富が来て、使徒たちの足もとに置かれるように』とへりくだりつつ教え、祈りました。その5日後、地球の裏側から1本の電話がありました。同じ頃に大口の献金をすることを考えていたという1人の愛すべき聖徒からでした。その方は、『そのお金を取って、アシェルの足もとに置きなさい』という神からの語りかけを聞いたと話してくれました。願わくはこれが超自然的なしるしとなり、使徒のビジョンが私たちの時代に完成するように、ほかの多くの人々にもリソースが注がれますように」。この例を見てもわかるように、異邦人の富を使徒の足もとに置くという教えは、今の時代にも目に見える具体的な側面があるというのです。

ピーター・ワーグナーは、『The Great Transfer of Wealth: Financial Release for Advancing the Kingdom(富の大移動:御国を前進させる財政的な解放)』という著書で、千年王国の時代に諸国民の富がエルサレムにもたらされるという預言を読み換えて、御国の働きの前進と社会の変革をもたらすために異邦人の富が教会にもたらされると語っています。また、ワーグナーも、ICAのカンファレンスで人々が「貧困の霊を打ち破り」、使徒の足もとに現金を置いた時に、「富を使徒たちの足もとに置いた」という同じ表現を使っています。

3.4 デラッシュ(Derash)

ティックーンの使徒は、終末時代に起こる一連の出来事は、使徒の働きを最後から最初に向かって逆方向に読むと、この書の中に預言されていると教えます。この逆方向に読むという発想は、最初の使徒の時代には福音がエルサレムから異邦人に向かったが、最後の使徒の時代には異邦人からエルサレムに向かうという考え方に基づきます。イントレーターは、この考え方を著書の『Israel, the Church and the Last Days(イスラエル、教会、終わりの時代)』の第4章「The Book of Acts Reversed(使徒の働きを逆方向に読む)」で教えています。この教えは「Acts 15 Revisited(使徒の働き再訪)」という動画でも語られていて、この動画についてはこの小冊子でも後ほど分析します。

使徒の働きを通常の読み方で最初から最後まで読むと、イエスは1章で、イスラエル王国が回復する日は来るが、それがいつとか、どんな時とかいうことは弟子たちは知らなくてもよいとおっしゃっています(1:6~7)。その後、イエスは昇天し、弟子たちはエルサレムにとどまって祈ります。2章に入ると、聖霊が注がれ、霊的なリバイバルが起こります。2~4章では、教会は使徒の権威と教えの下で一致団結します。6~9章では、教会がユダヤ、ガリラヤ、サマリヤに建て上げられます。9~12章では、福音が広まっていきます。12~15章では、教会が強められます。15~28章では、コリントやローマといったヨーロッパの大都市に福音が伝わります。そんな中で、15章の使徒会議(エルサレム会議)は、ユダヤ人の中で神の国が広がる段階から、諸国民の中で神の国が広がる段階へと移り変わるちょうど分水嶺となっています。

アシェル・イントレーターによると、上記の出来事は終わりの時代には逆の順番で起こります。1世紀に福音がエルサレムから世界に広がったとすれば、今は逆方向に福音が世界からエルサレムに戻りつつある時代です。そのため、終わりの時代には福音がエルサレムに戻ってくるので、私たちの世代に起こる出来事の順序を理解するには、使徒の働きを逆方向に読まなくてはならないと教えます。「預言の時計の針は、28章から始まって1章に向かって逆方向に動いていく。今は福音が全世界に到達して異邦人からエルサレムに向かっている時代だから、預言の針はすでに28章から15章までは来ているが、15章で止まったままになっている。そのため、預言の針を1章まで進めるためには、使徒15章に見られるような霊的権威をエルサレムに回復しなければならない。その時点から、預言的な針が動き始め、福音が広がり、教会が建て上げられ、6~9章に見られるような霊的な統治がユダヤ、ガリラヤ、サマリヤに確立される。この霊的な統治が、2章と4章に見られるような一致をもたらす。この一致があって初めて使徒2章のような聖霊の傾注が世界規模で起こり、世界の人々が信仰に入る。聖霊を注がれた人々が主の再臨を求める祈りに駆り立てられることで、主は昇天された時と同じようにオリーブ山に戻ってこられる。その時、主は御国を地上に回復してくださるのである」。

以上のような理由で、主の再臨に向けて時計の針が進む中で、使徒15章は決定的に重要な章だと結論付けることができると言うのです。アシェル・イントレーターはこのようにも教えています。「メシアのからだの中で霊的権威(使徒15章のエルサレム会議のこと)が回復することで、神は御国を全世界にもたらすことができるようになります。この地で回復が起こらなければ、それは実現しないのです」。言い換えると、使徒の働きの15章から、預言の時計の針が2章、1章に向けて再び動き始めるには、エルサレムの霊的権威を再び確立する必要があり、使徒の権威が回復しなければ、イエスは再臨しないということになります。

3.5 この章のまとめ

ティックーンの使徒たちは、超自然的な啓示によってヨハネ17章とエペソ4章を理解するようになったと主張します。また、使徒の働きは、逆方向に読めば終わりの日の使徒の時代に起こる出来事を預言していると言います。さらに、使徒3:21は、再臨前の回復と再臨時の回復という2つの回復について語っていると主張します。彼らは聖書の預言を私的解釈し、たとえば「異邦人の富」のような預言を自分自身に当てはめます。以上のことから、ティックーンの使徒たちは、超自然的な啓示に基づき(自身の証言による)、独特の預言的解釈方法を用い、歴史書に発想力豊かな預言的意味を持たせ(使徒の働きを逆方向に読む)、聖書を理解し、教えていることがわかります。著者の意図を汲み取ろうとする従来の読み方をして、彼らと同じ結論に達するかどうかは疑問です。彼らの聖書理解は「ペシャット(Peshat)」(文字通りの意味)に基づくものではなく、また「釈義」(解釈のための分析)ですらなく、個人的な啓示あるいは「デラッシュ(Derash)」(一種の個人的解釈)にとどまっていると言うことができます。

4. ティックーンの教理

ティックーンの使徒によるレストレーションの教えは、終わりの時代に起こる一連の出来事を中心に構築されており、それが終わった後に世界の贖いが実現するとします。この一連の出来事は、以下の順序で起こると言います。1)教会(使徒)の霊的権威の回復、2)メシアのからだの霊的な統治機構の確立、3)教会の一致、4)世界大の霊的覚醒、5)イスラエルの民族的救い、6)主イェシュアの再臨。この一連の出来事は、鎖の輪がつながっているように、それぞれが次の出来事とつながっており、イスラエル民族全体が「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」と叫ぶ場面で終わります。それが、主の再臨、世界の贖いへとつながるのです。ティックーンの使徒は、次のように教えます。「こうした出来事が起こるかどうかは、人間の主体的な行動にかかっている(ここに彼らの教理の基本原則を見ることができます)。一連の出来事の第一段階は、全世界のキリストのからだを完全な一致に導くことで成就するが、その一致は五役者の働きが回復することで実現する。この一致が実現して、初めて天を開くことが可能になる。キリストが戻ってこられるようにするための天を開く鍵はキリストのしもべに委ねられていて、天を開くのはしもべの役割である」

ジャスターはこう記しています。「そのため、イエスが再臨する前に、信者全体が一連の出来事の一部となる必要があります。そうなることで、この世界が信仰に導かれるのです。この世界は、信者たちがイエスの祈られたような状態に至った結果、信仰に入ります。これは一部の人にとっては驚くようなことかもしれませんが、ご自分で調べてみれば、それがまさにみことばが意図していることだとわかるでしょう。エペソ4:11~16も同じことを言っていると思います。この一致をもたらす鍵の1つが五役者の働きの回復で、すべての人が信仰の一致に達するまで、聖徒を建て上げるその働きは続くのです」(『Israel the Church and the Last Days』P. 74)。このように、ジャスターは最初に起こる五役者の働きの回復と、最後に起こるイスラエルの救いと世界の贖いを状況的に結びつけます。

それでは、この一連の出来事が、それぞれどのように直前の出来事とつながっているのでしょうか。最後の出来事から最初の出来事に向かってつなげていくと、次のようになります。

6)贖い:贖いが完成するには、イエスが再臨する必要がある(ピリピ 2:10「イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ」、ハバクク2:14「まことに、水が海をおおうように、地は、【主】の栄光を知ることで満たされる」)。

5) 主イエスの再臨:イエスが再臨するには、とりなしが必要になる。イスラエルは「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」(マタイ23:39)と祈り、異邦人信者はイエスに「来て、すべての国を治めてください」と呼び求める必要がある。

4) 世界大のリバイバル:世界中が主の再臨を求めて祈るには、使徒2:17で告げられているような、世界規模のリバイバルと全世界に対する聖霊の傾注がなければならない。イスラエルが悔い改めるには、イスラエルにねたみを起こすために世界規模の霊的リバイバルが起こる必要がある(ローマ11:11「救いが異邦人に及んだのは、イスラエルにねたみを起こさせるためです」)。この世が信じるには、イスラエルのキリストのからだが内部で一致し、世界中の信者のからだと一致する必要がある。そうすることで、ヨハネ17:21の「彼らがみな一つとなるためです…そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです」というみことばが実現する。

3)一致:イスラエルのキリストのからだの内部で一致し、世界中の信者のからだと一致するには、使徒15章に見られるような、ユダヤ人使徒の権威がエルサレムで回復しなければならない。権威を持った使徒会議がイスラエルのメシアのからだを一致させ、イスラエルのメシアのからだと世界の教会の間の調整を行う代表権威として職務を果たす。

2) 使徒の権威の回復:権威を持ったエルサレムの使徒会議を回復するには、諸会衆(コングリゲーション)は使徒の権威に従わなくてはならない。この使徒の中から、エルサレムの使徒会議に連なる上級使徒が任命される。

1) 五役者の働きの回復:使徒が存在するためには、エペソ4:11の五役者の働きを回復しなければならない。この働きによって、教会に一致がもたらされる。

この一連の出来事が、最初の段階で実現しなければどうなるのでしょうか。使徒会議が設立されず、メシアのからだに一致をもたらすことができなかったらどうなるのでしょうか。この世は信じることができるのでしょうか。イントレーターの意見では、答えは「いいえ」です。「メシアのからだの中で霊的権威が回復することで、神は御国を全世界にもたらすことができるようになります。この地で回復が起こらなければ、それは実現しないのです」(イントレーター「Acts 15 Revisited」動画46分19秒付近)。この一連の出来事は鎖のようにつながっていて、それぞれの出来事が状況的に結びついているので、ティックーンの使徒によると、使徒会議が回復しなければ、イエスは再臨できず、贖いも遅れることになります。「イスラエルの立場を認めるよう、教会に預言的に呼びかけることは、ユダヤ民族を優遇する人種差別ではなく、地上におけるイェシュアの権威に従うことです。それは、イェシュアの権威がある場所がエルサレムだと認めることです。エルサレムがなければイェシュアの地上における権威もありません。地上における権威がなければ、再臨もないのです」(イントレーター『The Two Witnesses(二人の証人)』)

5. 五役者の働きの回復

ティックーンの使徒は、エペソ4:11で説明されている使徒、預言者、伝道者、牧師、教師という「五役者」の働きが回復する必要があると教えています。五役者の働きの目的は、12~13節に書かれています。「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです」。ティックーンの使徒は、この箇所を終末時代の預言として見ています。こうした働きによって、特に使徒の権威のもとで、主が再臨する前に全世界のキリストのからだが一致するというのです。イントレーターはこう教えています。「使徒・預言者のチームがイスラエルで回復していることは、紀元1世紀の使徒の働きが部分的に回復していることを示しています。この回復が、メシアのからだ全体の正しいアライメント(連携)と霊的な統治にとって鍵となる要素なのです」(イントレーター「Apostolic Integrity and Authenticity in Israel(イスラエルにおける使徒の一貫性と正当性)」)。

5.1 使徒チーム

それでは五役者はどのようにメシアのからだを一致に導くのでしょうか。ティックーンのモデルによると、次のようになります。五役者は、それぞれキリストのからだで指導者とみなされます。五役者はチームとして一致協力して働き、使徒がチームリーダーとして全体をまとめます。このチームは「使徒チーム」または「使徒・預言者チーム」と呼ばれますが、これは使徒と預言者のリーダーシップが重視されているためです。新約聖書のモデルによると、諸教会に対する霊的権威を持っているのは使徒ですが、使徒は他の役割に就く人々とも協力して働きを進める必要があります。

使徒は教会の土台を据えます。使徒には、牧師および教師としてのスキルを活かして会衆(教会)を開拓し、増やしていく能力があります。預言者は、人の心にあることを明らかにし、個人的な召しを確認し、教会のネットワークに見るべき視点と進むべき方向を示します。また、預言者は現在や将来に関する警告を与えます。伝道者は、効果的に信仰を証しできるように信者を整えます。牧師は、互いに愛するように、主にあって成長するように信者を整えます。教師は、神のみことばから『神のご計画の全体』を注意深く教えます」(ジャスター「Five Fold Ministry: Why Do We Care?(五役者の働き:なぜ重要なのか)」、リバイブイスラエル「Healthy Tension Between Leaders(リーダー間の健全な緊張関係)」)

5.2 活発な監督活動

使徒チームは多くの会衆を監督します。「使徒的統治の基本モデルは、複数の会衆を現地の長老と共に監督するチーム、役員会です」(ジャスター『Apostolic Ministry and Authority』P. 51、2段落目)。会衆を監督するために、使徒チームは各会衆の長老たちと協力し、会衆を訪問し、現地の長老たちと定期的に会議を開いて会衆の抱える課題の解決に取り組みます。使徒は五役者の一人を派遣して、会衆が必要としている領域をサポートすることもできます。この使徒チームと地域会衆の指導者間の協力関係が、会衆内部で、また会衆間の一致を生み出すとします。

5.3 回復の目的

なぜ五役者は終わりの時代に回復する必要があるのでしょうか。ジャスターは次のように言っています。「聖書が終わりの時代について語っていることに関して、私は神から啓示を受け取り始めました。その啓示によって、終わりの時代の教会が五役者の働きを通して一致し、教会がメシアニックジューと手を携えることで、イスラエルの救いと世界の贖いが実現する道筋が示されたのです(「Tikkun International Story」P. 31、6段落目)。つまり、終わりの時代に回復した五役者の働きによって教会の一致が回復し、この働きがメシアニックジューとつながることで、私たちはイスラエルの救いと世界の贖いをこの目で見るようになるというのです。ジャスターは、このように五役者の働きの回復と、イスラエルの救いと世界の贖いを状況的に結びつけています。

6. イスラエルのメシアのからだにおける一致の回復

ジャスターは次のように記しています。「共観福音書の結論は、イエスの初代の証人として、また新しい契約に基づく共同体を治める権威として、十二使徒が選ばれたということです。そのように、十二使徒はイェシュアの後を継いで土台を築く教師となりました。誰も十二使徒に匹敵する権威は持っていませんが、十二使徒が宣教と統治に関して確立した型は、後に続く権威や宣教団体が従うべき模範です。それでは、十二使徒がいなくなった後は、町や地域を治める権威は存在せず、分裂したままでいるしかなくなったのでしょうか」(ジャスター『Apostolic Ministry and Authority』P. 9、1段落目)。「ヨハネ17:17(原文ママ) ― 一致を求めるこの偉大な祈りの中で、イェシュアは神に、自分が世に遣わされたように、弟子たちを世に遣わしてくださいと願い求めています。この文脈を見ると、使徒たちは地上に一致と御国の権威をもたらすという重要な役割を担っていることがわかります。使徒たちは、イェシュアの働きに似た、その延長線上にあるミニストリーを行うのです。現代の使徒も、それに似た、その延長線上にある権威が与えられ、メシアのからだの一致に責任を持っていると考えるべきです」(『Apostolic Ministry and Authority』P. 9、3段落目)。

6.1 問題:会衆の独立性

イスラエルのメシアのからだは、主に使徒的ネットワークに属さない独立した会衆(コングリゲーション)によって構成されています。ティックーンの使徒は、メシアのからだが独立した会衆によって構成されているので、からだの内には一致がなく、分裂し、協力関係がなく、このような状態は聖書の教えとは違うと言います。たとえば、ジャスターは「新約聖書のみことばによると、地域会衆は独立した存在であるべきではない」と教えます。それまでに、ジャスターは単立の会衆が道を踏み外し、監督する者がいないために正しい道に戻す方法がなかった状況を見てきました。そのため、会衆は独立した存在であるべきではないという結論に達していました。各会衆が使徒の権威に従えば、今後は使徒の権威によってそのような事態は避けることができる、と考えたのです。イントレーターも、次のように教えています。「新約で言及されている教会は、例外なく使徒集団とつながっていた。それが今日ではどうだろうか」。つまり、使徒の働きにあるようにメシアのからだを健全に建て上げるには、すべての会衆が使徒の権威に従わなくてはならない、ということになります。

聖書が会衆の独立性という原則を否定しているなら、会衆を設立する自由も、自分たちで指導者を任命することも認められないことになります。ジャスターは、ここで使徒継承の原則を考えに入れるべきであると言います。この使徒職の継承によって、使徒の時代から今日まで、途切れることなく使徒の権威という伝統が受け継がれているというのです。ジャスターは歴史的な教会(カトリック、正教会、英国国教会など)について、次のように記しています。「途切れることなく行われている[使徒]継承によって、[指導者の任命で]正統性が保たれていることをはっきりと見てとることができます。使徒継承を行う教会は、十分な論拠を持っていると考えます」(ジャスター『Apostolic Ministry and Authority』P. 54)。言い換えると、歴史的教会で正当な指導者と認められるためには、元をたどると使徒から権威を直接受け継いでいる人から任命を受ける必要があるということになります。ジャスターは、カリスマ派の会衆も、同じような使徒職継承の仕組みを考えるべきだと言います。また、教会教父から続く使徒継承を守っていくには、カリスマ派の聖公会から任命(叙階)を受けることも検討した方がよいとも言っています(同書、P. 58)。カリスマ派が使徒継承の伝統を守る人々に加わることで、「認定された権威から任命を受けることなく、自分で看板を立てて自分のことを牧師やラビと呼ぶ権利があると考える人々はいなくなります」(同書、P. 58)。

6.2 解決方法:権威の階層の確立

イントレーターは、権威に従うための階層を提示し、キリストのからだを建て上げる方法を具体的に示しています。この階層は、個人レベルの弟子から上がっていって、メシアのからだ全体を監督するエルサレム使徒会議に行き着きます。霊的権威が個人レベルから世界レベルに上がるにつれて、服従を求められることが少なくなっていきます。もし私が階層の一番下にいれば服従を求められることが多く、階層の一番上にいれば服従を求められることは少ないということになります。権威の階層は以下のようになっています。

  1. 会衆のメンバー ― 信者はすべて地域会衆(教会)のメンバーになる必要があり、イエスと会衆の指導者に従わなくてはならない。
  2. 会衆の指導者 ― 各会衆は、認定された長老と牧師によって導かれる。会衆の指導者は使徒的ネットワークのメンバーとなり、使徒に従う必要がある。
  3. 使徒・預言者チーム ― 使徒を中心とするチームは、会衆のネットワークを監督し、「使徒的ネットワーク」にまとめ上げる。使徒のチームは、ネットワークに属している各会衆の霊的な健全性、教理への忠実性、指導者の道徳性を監督する。使徒は、長老や牧師が重大な罪に陥っていたり、間違った教理を教えていたり、能力がないことが証明されたりした場合には、その人を役職から解き、別の人に交代させる権威を持つ。
  4. 上級アドバイザー ― 使徒・預言者チームを率いる使徒のことを指しているとみられる。
  5. 上級使徒 ― 上級使徒は、エルサレムの長老と共に、エルサレム地域で開かれる使徒会議を招集する。上級使徒について、イントレーターは次のように教えています。「人々が権威に従っていくと、最終的には使徒の権威に従うことになります。それでは使徒は誰に従うのでしょうか。そう考えていくと、最終的には上級使徒で構成される中心グループを設けることになるでしょう」(イントレーター「Acts 15 Revisited」20分57秒)。ここでイントレーターは、「使徒」と、「中心グループ」にいる「上級使徒」を区別していることになります。この点については次の章で詳しく取り上げます。

6.3 国単位の統治:使徒会議(Apostolic Council)

ティックーンの使徒によると、終わりの時代に回復することになる最高位の権威は、メシアのからだ全体に対する霊的権威です。使徒に一致をもたらす任務が与えられるとするなら、メシアのからだに正しい秩序と一致をもたらすためには、使徒15章で設けられたような使徒会議を回復する必要があるといいます。この会議に連なる使徒は「上級使徒」とされ、他の使徒とは区別されます。2016年にリバイブイスラエル/ティックーンが公開した動画「Acts 15 Revisited(使徒15章再訪)」では、このような教えが説明されています。

2016年に、リバイブイスラエルとティックーンは「Acts 15 Revisited(使徒15章再訪)」という、自分たちが教えていることの多くを説明している重要な動画を公開しています。この動画では、ティックーンの指導者が横一列に座って登場し、その中央に座っているイントレーターが、使徒15章のエルサレム使徒会議の回復について解説しています。イントレーターはこのように教えています。「ここで気づくことは、使徒の権威がエルサレムで回復するということです。これはとてつもないことです!」。つまり、使徒の働きで確立した使徒の権威を、ティックーンは現代に回復しようと考えているのです。

この動画で、彼らは「なぜ使徒会議を現代に回復する必要があるのか」という質問に答えようとしています。以下が挙げられている理由です。

  1. 回復した使徒会議がイスラエルのメシアのからだを一致に導く。論争のある神学的な問題は、会衆を分裂させます。そのような神学的な問題は、ユダヤ人の上級使徒会議で議論し、拘束力を持つ決定を下すことで解決すべきです。神学的な不一致を解決することで、メシアのからだは一致に導かれます。現代の上級使徒たちも、使徒15章で初代の使徒たちが神学的な論争を解決したように、神学的な不一致を解決すべきです。当時、教会は、新しく信者になった異邦人が割礼を受けるべきかという問題で分裂していました。また今日も、「律法と恵み」「イスラエルと異邦人」といった、教会を分裂させる論争の多いテーマがあります。こうした問題は、集まって議論することで決着をつける必要があります。この後に続く動画でイントレーターは、「Acts 15 Revisited」で「使徒と長老のネットワークをエルサレムに集め、メシアのからだに一致と正しい秩序をもたらす」ことについて教えたことを視聴者に思い出させています。

  2. 回復した使徒会議がイスラエルのメシアのからだを代表する。ジャスターはこう教えています。「イェシュアが、私たちが一つになるように祈られたとしても、もしイスラエルのメシアニック運動が分裂した状態だったら、異邦人信者はエルサレムに上ってきたでしょうか。また、イスラエルにユダヤ人使徒の運動がなく、各々独立した会衆が百ほどあって、その会衆間に協力関係がなかったとすれば、あるいは自分はレストレーション主義者だと主張する人々が深い絆で結ばれておらず、協力関係もなかったとしたらどうでしょうか。異邦人信者はわざわざ(エルサレムに)上ってこないでしょう」。イスラエルのメシアのからだと異邦人教会の間の関係を修復する取り組みの一環として、使徒会議が諸会衆を一致に導き、メシアニックジューの間で協力関係を築き、エルサレムを巡礼したい異邦人信者に対してイスラエルのメシアのからだを代表します。なお、ジャスターが「異邦人がエルサレムに上ってくる」と言っているのも、メシアの再臨前に回復した教会に対して千年王国に関する聖書預言を適用する私的解釈の一例です。メシア的王国では、異邦人はイェシュアにお会いするためにエルサレムに上ってきますが、メシア再臨前の回復した御国の時代でも、異邦人はユダヤ人使徒会議に上ってくるとジャスターは言います。

  3. 回復した使徒会議が世界的な霊的覚醒の土台作りをする。3.4「デラッシュ(Derash)」で指摘したように、ティックーンの使徒たちは、使徒15章の使徒会議を回復することが必要不可欠であると見ています。それは、使徒15章で止まっている時計の針が再び動き出し、使徒3~2章の一致、2章の聖霊の傾注、そして1章で約束されている御国の回復に向かうために欠かせないマイルストーンなのです。使徒15章の霊的権威が回復しなければ一致もなくなり、聖霊の傾注も、1章で語られている主の再臨もないことになります。

  4. 世界に霊的なガバナンス(統治)モデルを具体的に示す。ジャスターは、世界中の教会が、教会のガバナンスにふさわしいモデルを求めて悪戦苦闘していると教えます。カトリックのモデルか、それとも英国国教会のモデルがよいのか。ジャスターはこう語ります。「歴史的な教会(カトリック、正教会、英国国教会)とつながりができてわかってきたことは、彼らも同じことで悪戦苦闘しているということです。そうした教会の中には、私たち(メシアニックジュー)が正しいモデルを確立するまでは自分たちも正しいモデルを確立できないとすら思っている人たちがいます。世界中の教会を訪問して行く先々で言われることは、『あなた方がイスラエルで正しいモデルを確立するのを私たちは待ち望んでいる』という声です。どこへ行っても『あなた方がイスラエルで正しいモデルを確立するのを私たちは待ち望んでいる』と言われるのです。重要なポイントは、ローマ(カトリックの総本山があるローマ教皇庁)を中心にしたモデルにするわけにはいかないという点です。何らかの形で、世界はイスラエルと、そしてエルサレムと結びつき、一致する必要があるのです」。ジャスターの見方によると、メシアニックジューの使徒がイスラエルで霊的ガバナンスの問題を解決してほしいという国際的な期待が高まっているというのです。それが実現すれば、異邦人はイスラエルで成功しているモデルを自分の教会でも再現できます。そのようにして、霊的ガバナンスの問題を全世界で解決できるようになると言うのです。

  5. 回復した使徒会議が霊的権威をエルサレムに回復する。イントレーターは、世界中のキリスト教団体に向けて、世界中の福音の働きを、かつてのようにエルサレムの使徒的刷新と歩調を合わせて進めるように呼びかけています。「[3:13] 福音がエルサレムに戻りつつある今、エルサレムと歩調を合わせて福音宣教を行う必要があります。…[3:17] アグロー(リバイブイスラエルと連携しているキリスト教団体)だけでなく、ほかの多くの団体も、イェシュアの再臨と、またイェシュアの地上における権威と正しく連携したいと思うようになるでしょう。…[3:40] そのような状況が、世界中のメシアのからだで出現することになるでしょう」。言うまでもないことですが、全世界の福音宣教に対する権威を主張することは、霊的権威の頂点に立つことを求めるのと同じことです。別の所でもイントレーターはこのように記しています。「再臨が近付くにつれて、この(使徒的)ネットワークは、霊的にも、地理的にも、エルサレムに回復したメシアニックジューの使徒的リーダーとますます連携を深めることになるでしょう」。言い換えると、イエスの再臨が近付くにつれて、使徒的ネットワークはエルサレムのユダヤ人使徒会議と「アライメント(連携)」を行うようになるということです。7章「世界教会との一致の回復」では、この「アライメント」とはとりわけ「服従」を意味することを見ていきます。

  6. 霊的権威をユダヤ人の使徒に回復する。2千年間、福音は異邦人の手に委ねられてきました。イスラエルに福音が返ってきた今こそ、メシアニックジューが世界中のメシアのからだの長兄としての地位に返り咲く必要があります。初代教会がユダヤ人の使徒に導かれたように、世界に広がる使徒的ネットワークもエルサレムのユダヤ人使徒会議に導かれることになる、と彼らは言います。この点については7章「世界教会との一致の回復」で詳しく見ていきます。

ティックーンとリバイブイスラエルの教師たちが、エルサレムの使徒会議の権威、異邦人がエルサレムに上ってくること、ローマとエルサレムの比較、世界中で歩調を合わせて福音宣教を行うことに関する話を通して繰り返し教えていることは、ユダヤ人会議が世界中のメシアのからだの頂点に立ち、エルサレムから「世界戦略」を示すということです。それはエルサレムにメシアの地上における権威があるからです。この点についても7章「世界教会との一致の回復」で詳しく見ていきます。

「使徒15章の回復」「権威を持った使徒会議」「メシアのからだ」「異邦人」「福音の働きをエルサレムと歩調を合わせる」「メシアのからだに秩序をもたらす」といった、適用範囲の広い表現が使われていることから明らかになっている2つの点に注目する必要があります。第一に、ここで教えられている内容は、ティックーンの組織内のガバナンス(統治)ではなく、メシアのからだ全体の統治原則だという点です。第二に、使徒15章の使徒と同じ権限を掌握する野心を持っているということです。世界中のキリスト教団体に向けて、世界中の福音の働きをかつてのようにエルサレムの使徒的刷新と歩調を合わせて進めるように呼びかけているということは、最高位の権威を主張していることだと考えることができます。

イントレーターは、使徒会議が持つ権限を次のように要約しています。「ここには、一致、平安、契約関係があります。[1] 争いごとを解決するための場所があります。[2] 道徳的な問題を訴える場所があります。[3] 統一された宣教戦略を受け取る場所があります。そして、[4] 大きな神学的問題に対処する場所があるのです」(イントレーター「Acts 15 Revisited(使徒15章再訪)」および「Acts Pattern(使徒の働きの型)」)

6.4 地域の権威

イントレーターは、「統治の権威は、各地方の統治組織に分割する必要がある」と教えています。イントレーターによると、イェシュアが使徒1:8で弟子たちに「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」と言われた時、イェシュアはエルサレム、ユダヤ、サマリヤ、地の果てと、地域ごとに福音を宣教する型を示しておられたといいます。ところが、その後、この型に従って弟子たちが地名を並べて言った時には、『エルサレム』を入れずに『ガリラヤ』を追加しています(使徒9:31)。迫害によって教会はエルサレムから散らされていたので、その代わりにガリラヤ地方を加えたのです。ここで言及されている地域では、神の国が根を下ろし、確立していたことに照らして考えれば、神の国は統治地域ごとに分割されていると言える、と結論付けます。イントレーターは次のようにも言っています。「イエスは、あなた方は出て行って救いの福音を宣べ伝え、最終的にその働きが私の王国となり、全世界に神の国の統治地域ができると弟子たちに言われました。…ここでイェシュアは計画と宣教戦略を示しておられるのですが、それだけでなく、神の国のために霊的権威を持つ統治体制を築き上げる型も示しておられるのです(イントレーター「The Promise For Our Generation(私たちの世代への約束)」、2017年度ICEJカンファレンス)。

6.5 町の教会

ジャスターは、町や地域に存在する各教会は一般に「地域教会」と呼ばれているが、新約聖書では同じ地域の教会をすべてまとめて1つの「町の教会」とみなしていると教えます。この地域教会は使徒のチームに導かれるべきであるとジャスターは教えているので、使徒チームは町ごとに存在することになります。ジャスターはこう記しています。「クリスチャンの世界では、個々の会衆が地域教会と呼ばれています。しかし、そのような会衆を新約聖書が言うところの地域教会と呼ぶことにはかなり無理があります。新約聖書では、どれだけ規模が大きくても小さくても、家の教会や大きな集会がいくつ持たれていても、各地方に1つの会衆しか存在していないからです。現在地域教会と呼ばれているものは、統治機構という観点では、新約聖書の時代には存在しなかったものです。…いかに簡素でゆるやかな組織しか持たない交わりでも、権威というものが存在する事実に注目することが大切です。チームの性質に応じて、特に町の使徒チームに対して、一定の権威を認める必要があるのではないでしょうか」(『Apostolic Ministry and Authority』P. 51、2段落目)。

ジャスターは、地域の権威、つまり町の会衆を治める長老だけが、罪を赦す権威を持つようにすべきだとも提案しています。ジャスターは次のように書いています。「ここ(ヨハネ20:19~23)でイェシュアは、縛ること、解くことの新たな次元を使徒たちに教えておられます。使徒たちは、告白と悔い改めを前提に、またメシアの犠牲のゆえに赦しを宣言することができました。この権威は、十二使徒だけに与えられているものでしょうか。それとも将来の使徒にも、また会衆を治める長老全員にも与えられているものでしょうか。この仕組みが効果を発揮するには、ちょうど歴史的教会(カトリック、正教会、英国国教会など)がそうしたように、各地方のメシアのからだで会衆を治めている長老にも適用する必要があるように思えます」(ジャスター『Apostolic Ministry and Authority』P. 10、2段落目)。

6.6 この章のまとめ

このモデルが確立して、会衆が使徒の権威に従うようになれば、メシアのからだは「霊的にも、地理的にも、エルサレムに回復したメシアニックジューの使徒的リーダーとますます連携を深める」ことになり、エルサレムの使徒会議の権威の下に置かれることになります。長老と上級使徒たちがエルサレムに集まり、神学的な議論を解決して「メシアのからだに一致と正しい秩序をもたらす」時、メシアのからだは一致団結し、世界教会と一致する準備が整うことになるというのです。

7. 世界教会との一致の回復

イスラエルのメシアのからだが一致すると、次の段階である世界教会との一致に進む準備ができたことになります。ティックーンの使徒は、ヨハネ17:21にあるイェシュアの祈りが成就し、それによって世界大の霊的リバイバルがもたらされるには、メシアニックジューと世界の教会が一致する必要があると教えます(ヨハネ17:21「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです」)。ティックーンの使徒の教えによると、イェシュアが祈られたように、終末時代のメシアニックジューと教会の一致は世界を信仰に導きます。一致が終末時代のリバイバルの鍵であり、イスラエルの民族的悔い改めをもたらすものだというのです。「イスラエルの中から救われたレムナント(残りの者)が、救われた異邦人とともに、イェシュアがヨハネ17章で祈り求めた一致の成就として、神の国の栄光を現すのです。異邦人の信者が、救われたイスラエルのレムナント(残りの者)と一緒に影響力を行使することで、イスラエルの指導者が「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」と告白します。その結果、イスラエルが受け入れられ、死者の中からの復活に至るのです」(『Israel, the Church and the Last days(イスラエル、教会、終わりの時代)』P. 84、3段落目)。

7.1 ユダヤ人は教会の親

この一致が起こるには、異邦人信者の心を整える必要があります。ジャスターは、ピーター・ホッケン神父というカトリックの司祭が書いた本を読んだ時、感動で涙を流したと記しています。ホッケンは、後にジャスターたちと「第二エルサレム会議に向けて」カンファレンスの設立発起人になります(これについては後ほど説明します)。ホッケンは「教会は、自分たちの親がユダヤ民族であることを尊び、しかるべき敬意を払うことによってのみ、一致に至ることができる」と書いています(「Tikkun International Story」P. 54、4段落目)。ジャスターはさらにホッケンの言葉を引用して次のように続けています。「さらにホッケンは、メシアニックジューが教会全体に対し、またユダヤ民族に対してみずからの役割を果たすには、特定の教会組織に属するのではなく、自律的な集団でいることの重要性を認識していました」。言い換えると、メシアニックジューが独立した存在としてガバナンス(統治)を確立した後で、世界教会に対して、教会の親としての役割を果たせるようになるということです。ジャスター自身もこう教えています。「私はここ5、6年、教会の親はユダヤ民族だと教えてきました」。ティックーンの使徒の目には、国単位、地域単位、地方自治体単位の権威を確立して統治する「使徒会議モデル」がメシアニックジューに合った統治モデルで、また世界に模範として示すべきものと写っています。そして、メシアニックジューがそのような霊的権威、統治体制を確立することで、教会との関係が回復し、メシアニックジューが教会全体に対して「親としての役割」を果たすことができるようになるというのです。

7.2 TJCII ― 異邦人のアライメント(連携)

ここで、TJCII(Toward Jerusalem Council II:第二エルサレム会議に向けて)の位置付けを明らかにしておくことが重要です。TJCIIカンファレンスは、ジャスターとティックーンが他の諸団体と協力して取り組んでいる大きなプロジェクトの1つです。このTJCIIカンファレンスは、世界の諸教会をメシアニックジューとのアライメント(連携)に導こうとするティックーンの取り組みを具体的な形にしたものと言うことができます。このプロジェクトでジャスターは、異邦人の心を整えて、メシアニックジューとの関係を刷新し、第二エルサレム会議を設立しようとしています。この運動の趣旨は次のようなものです。「メシアニックジューと異邦人信者の関係は、初期の時代に異邦人信者がメシアニックジューを拒絶したことで壊れてしまった。この関係は、あらゆる流れ(カトリックと正教会も含む)を汲む世界中の教会が、ユダヤ人を拒絶したことを悔い改め、ユダヤ的ルーツに回帰し、ユダヤ人が教会全体に対して持っている親としての役割を受け入れ、ユダヤ人と和解することで回復する」

ジャスターは次のように記しています。「ブランチャード(ジャスターが学んだウィートン大学の創始者)は、奴隷制の撤廃という大義のために戦いました。私も大義のために立ち上がりました。それは、メシアニックジュー運動を全面的に受け入れ、置換神学によるユダヤ人/イスラエルの否定を教会からなくすことです。このビジョンは、後に『第二エルサレム会議に向けて』というプロジェクトで具体的な形を取ることになります」(「Tikkun International Story」P.51、3段落目)。また次のようにも書いています。「パウロがローマ11章で提示している(ユダヤ人信者と異邦人信者による)両方向からの証しは、イスラエルがみな救われるまで続きます。これが『第二エルサレム会議に向けて』の委員会の見解です。この壮大なプロジェクトで、私たちは教会全体に対して悔い改めを呼びかけ、すべての教団教派が参加してイスラエルとメシアニックジューとのアライメント(連携)を行うように求めています。これは何もイスラエルがしていることや、ユダヤ教が教えていることをすべて承認するということではなく、神がイスラエルと諸国民(異邦人)に対して持っておられる目的に対し、自分の基本的な心のあり方を合わせる(アライメントを行う)ということです」

ここで問わなくてはならないのは、なぜジャスターは明らかに間違った教理を今も教えている教会とも関係を構築しようとしているのかということです。たとえば、聖母マリアに祈るように信者に教えている教会の流れと一致する余地があるでしょうか。ジャスターの意見では、さまざまな違いはあるが、キリスト教のどの教団教派にも真の信者はいて、それは改革派教会でもその中の一部だけが真の信者であるのと同じだと言います。では、ジャスターは間違った教理を教えている教会の一部であるものの、自分のことを真の信者と信じている人々と関係を築こうとしているのでしょうか、それともそのような教会組織全体から承認を受けようとしているのでしょうか。

「10年かけて、私とジョンが思い描いていた最初の国際カンファレンスを2006年の秋にようやく開くことができました。35か国から参加があり、すべての主要な教会の流れから出席者が来ていました。私たちは現在、公式な推薦を教会からもらえるように働きかけています」(「Tikkun International Story」P. 55、4段落目)。諸教会の中の人々と友好関係を結ぶことから始まった運動ですが、ここで宣言されている内容から、実はすべての教会から公式な推薦を受けることが目的であることがわかります。さらに、ジャスターはエキュメニカル(教会一致)運動を支持しないと公言していますが、ピーター・ホッケンは、エキュメニカル運動は聖霊の働きだと言っています。「さまざまなグループが、エキュメニカル運動を20世紀のキリスト教に特徴的なものであると考えています。エキュメニカル運動はペンテコステ運動と同じく20世紀初頭に始まりました。しかし、この2つの運動の間にこれまで交流はほとんどありませんでした。著者(ピーター・ホッケン)は、どちらの運動も基本的には聖霊の働きだと見ています」(「The Challenges of the Pentecostal, Charismatic, and Messianic movements(ペンテコステ派、カリスマ派、メシアニック運動の課題)」P. 1、2段落目)。ジャスターは、一致を求める相手は歴史的教会の中にいる真の信者だけであること、またエキュメニズムの原則を支持しないと言いつつも、TJCIIは諸教会から正式な推薦を受けようとしています。また実際に、TJCIIに参加している人々はエキュメニカル運動を支持しています。どうやら、TJCIIの参加者は各自がよいと思うようにTJCIIの目的を定義できるようです。

7.3 メシアニックジューが「養子」を受け入れる

イントレーターは、メシアニックジューの側からも、自分たちの間での一致、また世界教会との一致を実現するために、与えられた役割を果たす必要があると教えています。イントレーターは「この一致を実現するには、イスラエルのレムナントは世界中のメシアのからだ、つまり世界教会を『養子』として受け入れる必要があります」と語り、次のようにも言っています。「諸国のエクレシア(教会)は、家族の中の家族とみなすことができます。イスラエルのレムナントは家族の長兄となるべき存在です。長兄、長男の役割は、家族全体を一致させることです。私たちメシアニックジューがヨハネ17章の召しを受け入れる時、ローマ11章が教えるレムナントとしての召しを受け入れることにもなります」。つまり、イスラエルのメシアのからだが世界教会を「養子」として受け入れ、長兄として家族をまとめる時に、はじめて一致が実現するということです。イスラエルのメシアのからだは、果たして世界教会を受け入れる準備ができているでしょうか。

7.4 アライメント(連携)=服従

メシアニックジューと世界教会の関係を「親子関係」と定義するホッケン神父とジャスターの発言、メシアニックジューは世界教会を「養子」として受け入れよというイントレーターの呼びかけ、そしてメシアニックジューとのアライメント(連携)を呼びかけるTJCIIの主張を総合して考えると、この「アライメント」とは権威的な関係であると確信をもって言うことができます。イントレーターは終わりの時代の「アライメント 」に関するビデオで、この点を特に取り上げて教えています。「みなさんに特別な言葉についてお話ししたいと思います。それは「アライメント」です。これは重要な言葉です。ここでは特に、終末時代のイスラエルと教会の間のアライメントについて話します。その意味をここで少しだけお話ししましょう。アライメントは一種の秩序です。パズルのピースを正しい枠組みの中で組み合わせ、すべてが協力して働くようにするものです。そこには一種の服従関係が関わってきますが、それは単なる階層の上での服従ではありません。 それは、すべてのピースを組み合わせる秩序なのです」。言い換えると、アライメントとは「階層の上での服従」でもあり、全体をうまく機能させることができるようにからだの各部分が各自にあてがわれた位置に着くことも意味します。イントレーターはたとえを使って、それは体が正しく機能する状態に戻るように、ずれている骨の位置を元に戻すカイロプラクティックのようなものであると言い、次のようにも語ります。「アライメントには、権威への服従、契約に基づく正しい秩序、将来の預言的な方向を理解することがすべて関わっています」

7.5 アライメントの結果:世界に対する新しい啓示

異邦人がアライメントを済ませ、メシアニックジューがメシアのからだで指導的立場についたとしたら教会はどのような姿になるのでしょうか。メシアニックジューはどのように教会を導くのでしょうか。イントレーターは次のように書いています。「最近、祈りの中で、次のような洞察を得ました。今ここに話しますので、みなさんがご判断ください。イスラエルのレムナント(残りの者)が、全世界のメシアのからだを指導する立場に着く時が来ました。これまでの聖霊の「波」では、世界のさまざまな場所で、さまざまな地域団体が指導的な立場に立ちました。それぞれの時に中心的な啓示のテーマがあり、メシアのからだを一時期導いたのです。それでは、今、イスラエルのレムナントからメシアのからだ全体を祝福するために与えられている啓示とは何でしょうか。それは、ヨハネ17章の一致への呼びかけです」。メシアニックジューが全世界のメシアのからだを指導する立場に着く時、世界の教会を一致に向かって大きく前進させる新しい啓示がもたらされるというのです。そのようにして、現代のレストレーション主義者の最終目的である世界教会の一致が実現すると言います。そうなると、教会は次の「聖霊の傾注」の段階に進む準備ができたことになります。

8. 世界大のリバイバルとイスラエルの救い

ティックーンの使徒によると、イスラエルのメシアのからだが一致し、世界中の信者と一致する時、聖霊の傾注が世界規模で起こると言います。彼らは、終末時代には使徒の働きの出来事が逆の順番に起こると信じていますので、使徒2~4章の一致が聖霊の傾注の後に起きたとすれば、今日では逆の順番、つまり使徒2~4章にあるような一致の後に使徒2章にあるような聖霊の傾注が起きるというのです。

イントレーターは、終わりの時代のリバイバルはそれまでに起こったどのリバイバルよりも大規模なものとなり、使徒2章の聖霊傾注をしのぐものになると教えています。「ヨエル2:28にはこうあります。『その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る』。聖霊の傾注は、これまで説明してきた出来事がすべて起こった後に起こります。この聖霊の傾注が、1世紀のペンテコステの日にペテロが証言したことであり、それが再び私たちの時代にもさらに大きな規模で起こるのです。**この聖霊の傾注は、その他の出来事が起こった後でないと実現しません。この聖霊の傾注の直前に起こることといえば、先ほど説明した、教会とイスラエルの関係が回復することです。繰り返しますが、これは偶然ではありません。教会とイスラエルが受け取る準備ができて、世界に向けて証言できるまでに回復しなければ、神が御霊を注ぐことはないのです」(『Israel, The Church and the Last Days(イスラエル、教会、終わりの時代)』P.135~136)。ここでも、次の段階である聖霊の傾注が起こる条件は、教会とイスラエルの一致が回復することであると言われていることがわかります。一致がなければ、聖霊が注がれることもないというのです。

同様に、後の雨運動も、終わりの時代に起こる聖霊の傾注は大規模で、それまでに起きたあらゆるリバイバルをしのぐものとなると教えています。この解釈は、ヨエル2:23の比喩的解釈に基づいています。イントレーターは次のように教えています。「ヨエル2:23ではこう言われています。『シオンの子らよ。あなたがたの神、【主】にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ』。物理的な世界では、中東における雨は農作物が成長する源であり、そのため経済的な繁栄の源でもあります。一方、霊的な世界では、雨はリバイバルで注がれる神の御霊を表しています。初めの雨と後の雨を合わせたものになるということは、それまでに起きたリバイバルをすべて合わせた集大成と言えるような、大規模なリバイバルになるということです」(『Israel, the Church and the Last Days』P.133)。これは後の雨運動の典型的な解釈です。

イントレーターは、霊的リバイバルは終わりの時代の迫害と患難の中で起こると教えています。イントレーターはこう記しています。「患難とリバイバルは同時に起きます。神のあわれみと神のきよさが、世界に対して同時に明らかにされるのです」。終わりの時代の患難はどのような理由でもたらされるのでしょうか。患難は、神の民の反抗と不道徳の結果としてもたらされるのでしょうか。それとも、教会とイスラエルが終わりの時代に義とされて回復した結果としてもたらされるのでしょうか。

「教会とイスラエルの回復は、終末時代の迫害と患難の只中で起こります。これは偶然ではありません。神がご自分の民の間で働かれるので、霊的な勢力が奮い立つからです。悪の世界システムが反応し、反撃を仕掛けてきます。神の民が神のみこころに従って前進しないのなら、サタンは全面攻撃を仕掛ける必要性を感じません。たとえば、シオニズム運動が存在していなかった時には、シオニズムに対する大きな国際的な非難もありませんでした。神の民のポジティブで正しい行いが、不敬虔な人々からネガティブで悪魔的な反応を引き出すのです」(『Israel, the Church in the Last Days』P.135)。こうした発言から、彼らは終わりの時代の大患難は神の民(イスラエルと教会)の義によって引き起こされるもので、たとえば人々の罪のゆえではないと考えていることがわかります。さらに、終わりの時代の大患難は、教会とイスラエルが一致を回復した結果としてもたらされると考えていることがわかります。この一致は、もちろん使徒と五役者の働きによってもたらされると考えられています。

終末時代の霊的リバイバルは世界的規模のものになるのでしょうか。それとも、大患難の中で聖霊が注がれるのはイスラエルに対してのみなのでしょうか。大患難は、神の民のポジティブで正しい行いに対するサタンの反応なのでしょうか。それとも罪と反抗に対する神の裁きなのでしょうか。神がご自分の御霊を注がれるのは、教会に一致をもたらすという人間のわざによる準備が整うからでしょうか。それとも大患難時代の只中にいるご自分の民をあわれまれ、ご自分の主権でお決めになった結果なのでしょうか。以上は、神のみことばに従って考える必要がある重要な問いです。

9. メシアの再臨と世界の贖い

この短い章では、主の再臨と、地上における御国の回復に関するティックーンの使徒たちの教えを取り扱います。この御国とは、主の再臨から始まる千年王国のことで、この時代にメシアはエルサレムからすべての国を統治します。この御国については、イスラエルのメシアニックジューの間では意見が広く一致しており、この章では、ティックーンの使徒の教えに関する調査の締めくくりとして、ティックーンがこのテーマに関して教えている独自の教理に絞って見ていきます。

例えば、使徒1章のとりなしの祈りが2章の聖霊の傾注をもたらしたとすると、ティックーンの教えによると、今回はこの順序が逆になります。使徒2章の聖霊の傾注が1章のとりなしの祈りをもたらし(12~14節)、主が再臨し(9~11節)、御国が回復し(6節)、世界の贖いが実現します。「五旬節(シャブオット)の朝にペテロが説教をした時、ヨエル書を引用しました。ヨエルが預言していたことが成就するのをその目で目撃したからです。ヨエルは長い期間のとりなしの祈りについて語っていますが、それはまさに(聖霊の)火が下ってくる前に信者たちがしていたことでした。信者が祈っていた時に、聖霊がヨエルの預言について思いを巡らすように導かれたのは、一貫性があることのように思えます。信者たちは、心が啓示で満たされ、これがまさにヨエルが預言していたことだと確信しました。信者たちは、いわばヨエル書の内容が持つ力に動かされていたのです。その内容とはどのようなものだったでしょうか。そこには、主が来られる前に起こる、全地を揺るがすような出来事が書かれていました。主が来られるという思いが、信者たちを熱いとりなしの祈りに駆り立てたのです。このとりなしの祈りが、世界を揺るがす奇跡的なリバイバルにつながったのです。私たちの時代にも、同じことが繰り返されます。しかし、今回はもっと大きな規模で、実際にそれを呼び水として主の再臨が実現するのです」(イントレーター『Israel, the Church, and the Last Days』P.124~125)。使徒の働きの時代には、1章の祈りが2章の出来事(聖霊の火が注がれる)につながりましたが、今日では、使徒1:12~14のとりなしの祈りは逆方向に火の裁きと主の再臨につながるというのです。

ジャスターは次のように記しています。「全諸国民から引き寄せられた人々は、イスラエルが『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』と告白するように、祈りによって導く力を持っています。この祈りは、世界を統治してくださいとイエスを歓迎する祈りです。イスラエルは諸国民の代表ですから、世界を統治してくださいとイエスを招く権利を持っています。ただし、イスラエルがイエスに世界を統治してくださいと招かなければ、イエスは来られません。また同時に、イスラエルだけでは代表としてふさわしくありません。各国からの代表もいなくてはならないのです。各国の代表それぞれにとりなしの役割が与えられているのです。イエスが再臨する直前に、すべての国の信者が各国の言語で『イェシュア、マラナタ(来てください)!来て、私たちの国を統治してください』と言うでしょう。ロシアの信者は「主イェシュアよ、来て、ロシアを統治してください」と言います。日本人の信者は『主イェシュアよ、来て、日本を統治してください』と言います。このような各国のとりなしの祈りが満ちた時に、イスラエルが祈りに加わり、世界の贖いが成就するのです。もちろん、贖いは裁きと共にやってきます。神の怒りが注がれます。神は世界を裁き、世界を救われるのです。この原則を理解すれば、メシアの花嫁になるとはどういうことかを理解したことになります」(『Israel, the Church, and the Last Days』P.89~90)

10. まとめ

終わりの時代に、主イエスが再臨する前に教会の回復があるのでしょうか。御国が到来し、メシアが戻ってこられるように、メシアのからだに霊的権威を回復する必要があるのでしょうか。メシアニックジューが世界の教会に対して霊的権威を持つ必要があるのでしょうか。イェシュアが再臨する前に、エルサレムが地上におけるイェシュアの権威が座する場所になる必要があるのでしょうか。使徒15章の使徒会議を再び設立するという教えに、聖書的根拠があるのでしょうか。ティックーンの使徒の解釈は、神のみことばの堅固な土台の上に築かれているのでしょうか。それとも聖書の著者の意図する意味から離れてしまっているのでしょうか。その発言の重大性に釣り合うほどに、彼らの解釈は正しい釈義を行うための基準を満たしているでしょうか。今日の教会は、使徒の働きに書かれている使徒の時代よりもスケールの大きい新しい使徒の時代に突入しようとしているのでしょうか。メシアニックジューは、ヨハネ17章で語られている一致に関して、啓示のメッセージを世界にもたらすことになるのでしょうか。以上のような主張は、イスラエルのメシアのからだにとてつもなく大きな意味を持ちます。神が、新しい使徒の時代に入るようにメシアのからだを召しておられるなら、すべてのメシアニックジューは、現代の使徒の啓示に従い、使徒たちが終わりの時代の預言的な働きに召されていることを認めなくてはなりません。

それとともに、ティックーンの使徒が主張していることの重大性と、イスラエルのメシアのからだに対する影響の大きさに照らし、慎重な扱いが必要な点にも触れておかなくてはなりません。ティックーンの使徒の解釈は、超自然的な啓示に基づくものとされ、メシアのからだ全体を縛るものになる可能性があるのですから、その主張を注意深く吟味する必要があるのではないでしょうか。そこには2つの選択肢があることを指摘しておきます。1つは、メシアのからだがその教えを神のみことばとして受け入れ、その計画に従う道です。もう1つは、その教えを拒絶し、主導者たちにそのような教えや働きを放棄し、悔い改めるように呼びかける道です。

(注:この翻訳は、原文の一部を省略した抄訳となっています。)